閑話休題

gifted(IQ135以上)による雑記ブログです。日々考えている問題や対象について書きだしています。

Dear

 器用貧乏。私が高知能を悟ったときから抱えている悩みだ。興味を持ったことは大抵ある程度できるのだが、興味が続かず途中でやめてしまう。やめる原因はいくつかあるのだが、「適切な強さの挫折」を経験する機会が少ないからだろうと思う。初めてすぐに挫折すればそこでやめてしまうし、中途半端にできるから知らない間に取り返しのつかない挫折を味わうところまで勝手に進んでしまうのだ。

 

 数学も、ゲームも、恋愛もそう。何一つとして、できた気になるのがうまくて、心の底から楽しめない自分がいる。世の中にある事柄というのは、結局他人とのコミュニケーションに集約できるので、自分の評価、他人の評価、関係性を欲する。欲するが、人は他人に興味がないので、欲求不満になり、頓挫する。人生はこの繰り返しだ。

 

 一生懸命「理解者」を作ろうとしたところで、それは私を理解しようと努めない者が選ばれるのであって、結局は求めている物との微妙な乖離に苦しむだけなのが目に見えている。承認欲求が抱える不満は、承認欲求を持つこと以上に私に大きなノイズを与えてくるのだ。

 

 そうして人間関係から距離を置いた私は、肥大化する承認欲求を抑えコントロールできるに至った。ように思えるだけかもしれないが。ワクワクする出会いはそう簡単に訪れない、そう思い込むことでいくらか心の安寧が保たれるような、そんな気がした。

 

 ところが実際にワクワクするような出会いに直面した時、そんな防衛機制は脆くも崩れ去ったではないか。もっと知りたい、感じたい、知ってほしい、そんな浅はかな欲求が心の底から湧いてくるのを感じた私は、醜い感情を隠すことが困難になった。知らなければよかったのか?世の中に知らなくていいことはないと考える私なのだが、今回ばかりは多少後悔をした。

 

 心はまだ強い。ただ、アンビバレントな感情が私を痛めつけているだけだ。かねてから異性には好意よりも羨望や尊敬の感情を抱くことが多かった。しかし、羨望や尊敬の感情を抱かない時に限って、性的な囁きが私を誘惑してくるものだ。これはもう不可抗力だ。ちょうどアダムとイヴの神話のように。

 

 「あ、この人と結婚するかも」と告げる私の”自慢の”直観はことごとく無責任だ。誰でもいいから責任を負ってくれ、と弱音を吐きたくなる金曜日の朝であった。